こんにちは!
1964年生まれのたこちです^^
60年を超える人生で培った、知識と経験・知恵を駆使して、今後を乗り越え「快適ライフ」を目指しています!
今回は、10年努めた職場を突然雇い止めになったことが、実は好転機だった…というお話しです。
有期雇用(6ヶ月更新)で10年間勤務
その職場は、もと上司の紹介で務めることになった医療系の職場でした。
私は医療系の知識や資格は持っていなかったので、ちゃんとお役に立てるか不安だったのですが
「自宅から徒歩5分」という絶好な環境と
「それまでの仕事より月給は3万ほどUP」
という好条件に惹かれ、迷いながらも面接していただいた結果、即採用。
正社員ではなく「半年更新の有期雇用」ではありましたが、当時は『就職氷河期』がまだ回復しておらず、新卒でも正社員が難しい頃だったのでワガママは言えません。
15歳と11歳の食べ盛りの息子二人を養うためにも、とにかく必死で頑張ろう!と思いました。
最初は右も左もわからない職場でしたが、気付けば10年も更新を繰り返していただきました。
資格もいくつか取り、責任ある業務も任され大変充実した毎日を過ごしていた私は
「もしかしたら、このまま定年まで更新してもらえるかも〜!」
などと、今思えば油断も甚だしく、完全に危機管理能力を欠いた状態になっていたのです。
自分の中では「11年目に突入!」の予定だった20回目の面談…。
テーブルの向こうには、係長・課長・次長…。
いつもの更新面談は係長と課長だけなのに、次長まで座っています。
「あれ?11年目になると次長まで面談してくれるのねー?」(;´∀`)
と、期待満点!心のネジゆるゆるの私に向けて放たれたのは
「更新はありません」
と、次長のたった一言でした。
(・。・;
一瞬で、心のネジがキューーーーっと締まりましたね。
現実が天井から降ってきて、自分のすぐ後ろに崖が迫ってくるような感覚でした。
感じたことの無い劣等感を息子が払う
面談のあとは、ずっと「なぜ?どうして?」ばかり考えていました。
無遅刻無欠勤だし、問題行動があった記憶もない。
仕事もミスしてない…はず。
人間関係だって…そりゃぁ完璧とは言えないけれど、仕事を失うほど悪かったとは思えない。
「どうして辞めさせられるの…?」
私より長く務めている人も数人いたので、10年が一区切りというわけでもなさそうです。
「もう、私は必要ないってことなのかな?」
「10年も頑張ってきたのに!一生懸命に仕事覚えたのに。」
「何が悪かったの?どうして?」
「どうして…(´;ω;`)」
悔しくて、悲しくて仕方ありません💦
社会から見捨てられたような、自分の10年間の努力を否定されたような…激しい劣等感がいつまでも止みません💦
何日も「なぜ?どうして?」と考え続けました。
また、50半ばにもなって次の職場が簡単にみつかるとも思えないし、どうやってこの先の生活を送っていったらいいか、不安と苦しさが募り、あまり眠れなくなってしまいました。
もう、どうにも自分をコントロールできなくなってきた時、当時21歳になっていた次男に
「母さん、なんで仕事更新してもらえなかったのかな…?」と
ポロッと口に出してつぶやいたら
「へ?今更それ知ってどうするの?だって、もう決まったことでしょー?w」
と、笑い飛ばされてしまいました。
「まあ、そう…なんだけど…。」
「全く!!!息子ったらマジで冷たいわ💢」と一瞬怒りを感じましたが、でも息子のこの一言でサーッと心の霧が晴れたというか、
「確かに、何をいつまでも悩んでいるのだろう…。過去を悔やむより、これからを考えなきゃ。」
と、我に返ることができたのです。
きっと私は、雇い止めの理由を誰かのせいにして、10年間頑張った自分を正当化したかっただけなのかもしれません。
息子が言う通り、理由を知ったところで何も変わりません。
それなら早く気持ちを切り替え、さっさと生活の糧を見つけなければなりません。
「考えても無駄か、そっか〜!」
と、立ち上がって背伸びをしたら、ずっとうつ向いていた顔をまっすぐ前に向けることができました。
息子に感謝です。
1年間の失業生活で得たもの
とは言え、新しい職場は簡単にみつかりません。
失業手当の給付期間は退職の理由・退職時の年齢・算定基礎期間などから270日間あり、給付を受けながら、短時間であればアルバイトもできると知りました。
急に生活苦に陥る訳ではないようです。
(;´∀`)
こうして9月の末に雇い止めになった私は、北海道の厳しい冬期間は在宅でできる仕事を探し、半年後の春に再就職を目指すことに決めたのです。
ブログ
在宅でできること=内職(作業)と考え、アルバイト情報誌で「シール貼り」とか「袋詰」などの仕事をみつけました。
が、単価安すぎ!
数千円を稼ぐのも大変、気が遠くなりそうですw
4時間以上働くと失業給付にも影響が出るので、こんなコスパの悪い内職はとっとと辞めました。
で、普段は動画を観るしか使っていなかったパソコンで
「家でできる仕事はないか? パソコンでとか」
と、半ばヤケクソで変てこなキーワードを入力したのです。
キーワードの入力はめちゃくちゃ適当だったのに、パソコン様は
「ブログ」
というものがあることを教えてくれました。
「稼げる」
ということも。
「ブログって海老蔵さんが書いてる日記でしょ?一般人が書いたところで稼げるの?」
と、最初はブログに対する知識ゼロでしたが、いろいろ調べていくうちにどんどん興味が湧いてきます。
「もしかしたら本当に稼げるのかもしれない」と、段々信じるようになりました。
ブログ構築をステップアップ形式に解説しているYouTubeをみつけて毎日猛勉強し、1ヶ月くらいかかって(時間かかりすぎw)サイトを立ち上げ、なんとか記事投稿を開始しました。
今になって振り返ると大変恥ずかしいコンテンツばかりですが、私なりに精一杯、40記事ほど投稿しつづけました。
でもアクセスはずーーーーっと0件💦
もちろん収益もずーーーーっと0円(T_T)
「やっぱりブログなんて稼げないじゃん!」と、諦めかけた時に
「ブログで稼ぐ方法を教えますよ〜」
っていうメルマガが、本当にタイミング良く届いたんです。
「神降臨!」
と感じた単純な私は、まんまと話に乗っかってしまいまして…。
10日間の無料講座 ⇛ 1ヶ月10万円 ⇛ 3ヶ月20万 ⇛ 1年間60万
アフターフォロー3ヶ月10万円
別な方を紹介され10万円
その他モロモロ…数十万円
と、どんどん沼ハマり。
もう、どこで講座を辞めたらいいのか解らなくなってました。
「で?そんな高額を支払って、結局ブログで稼げたの?」って、聞きたいですよね^^
それがはい、稼げたんですー。
1年半で100万円くらいになりました💪
でもせっかく稼いだ収益はそのまま高額講座のお支払いになり、それでも足りずに貯金がマイナスになってしまいました。
知識と経験を手に入れることができたので、深い後悔はしていません。
でも
やっぱり、総額100万円以上って、高い買い物だったな…(´・ω・`)
新しい職場
失業期間の前半は、アクセス0件のブログに記事投稿を励みながら、短時間のアルバイトも週に1〜2回していました。
1年経ち、ブログの高額塾に出会った頃
「そろそろ失業給付期間が終わる、やばい!」
「ブログ、ちっとも稼げない(T_T)」
と焦っていたときに、アルバイト先の正社員が3人一気に退職することになりました。
会社は大慌てで30〜40代の経験者を求め、募集広告を何度も出しましたが全く応募がありません。
それでなんと!当時55歳でアルバイトの私が新入社員として採用されることになったのです(^o^)
まさに、たなぼた。
その半年後、コロナ禍となり倒産する会社が増えましたが、私を採用してくれた会社は倒れることなく、辛抱の3年間を乗り切りました。
今年60歳で定年退職したので、社員としてお世話になったのはたった5年間でしたが、その間に必要な認定や資格を取っておいたので、今は独立し個人事業主として、その会社と業務委託契約をさせていただいています。
今があるのは雇い止めのおかげ
もし、医療系の職場を雇い止めされることなく、あのまま60歳の定年を迎えていたら…。
ブログを勉強することもなく、新しい資格や認定を取ることもなかったはずです。
仕事に対していい加減な気持ちでいたことはありませんが、10年間もあたりまえのように契約を更新していただいていたことで、心のネジがユルユルになっていたことは事実です。
ネジが緩みすぎてどこかに飛んで行っていたら、何か大きな失敗をしていた可能性だってあります。
雇い止めで思いがけず仕事を失ったことは、自分を否定されたような気持ちになり本当に辛かったですし、雇い止めの理由を誰かのせいにすれば10年間頑張った自分を正当化し楽になれると思って、いつまでもクヨクヨし続けました。
でも
そんなことをクヨクヨ考えているより、次に何ができるか?を考えたほうが気持ちはずっと楽になったんです。
新しい出会いと発見、全く別の未来も見えました。
還暦手前で職を失った時の失望感ったら…もう本当に自分が哀れで惨めで…
って、今なら笑って振り返ることができます。
だけどきっと、あの時、雇い止めになって良かったんです。
もし、あの時の私のように
仕事をなくして、悔しくて悲しくて、泣いても泣ききれない💦という人がいたら
大丈夫。「次は何をしようかな?」って考えよう!って言ってあげたいです。
チャンスはいっぱいあるんです^^