こんにちは、たこちです。
先日、86歳の母がついに免許を返納し、長年乗っていた車を手放しました。
もうずっと心配で、夜中にふと「大丈夫かな…」なんて思い出すことも多かったけれど、
まずは事故もなく、無事に返納できて本当にホッとしています。
でもね、車を手放すって、想像以上にしんどいことなんですね。
母を見ていて、しみじみ感じています。
私は、母の住む街から車で2時間ほど離れたところに暮らしています。
だから、毎日顔を見に行けるわけでもなく、LINEと電話が頼り。
実家には月に1度くらい帰るのがやっとです。
それでも、なんとなく伝わってくるんです。
あの元気だった母が、少しずつ意気消沈して、
外に出るのもおっくうになっている様子が。
「何か手伝いに行こうか?」と声をかけたら、
「あなたに食べさせる夕食の買い出しに行けないから来ないで」と言われてしまいました。
…あれ? いや、だから手伝いに行くって言ってるんだけど?笑
最初はちょっと戸惑いましたが、
きっと今は“車のない生活”を受け入れるまでの時間が必要なんだ、と思います。
だから私は
「そうだね。慣れるまでは大変だよね」
とだけ伝えて、しばらくそっと見守ることにしました。
父は地方公務員で、転勤の多い人でした。
何度も引っ越しを繰り返したあと、最後にたどり着いたのが今の街。
海も山も川もあって、畑も借りられる。
「ここが終の棲家だ!」と、夫婦で嬉しそうに家を建てたのを今でも覚えています。
けれど、年月が経つと、その“自然豊か”が“交通の不便さ”に変わっていきました。
病院は遠く、タクシーは街に2台しかなくて、来てくれないこともある。
バスは2時間に1本。
買い物は、あちこち回らないと揃わない。
便利さより、孤立感のほうが段々大きくなっていった気がします。
父が亡くなり、母ひとりになった今、
その不便さはきっと想像以上なんだと思います。
昔、母に「将来はこの家を守ってほしい」と言われたことがあります。
当時は「まぁ、それもいいかもね〜」なんて軽く考えていたけれど、
今の母の姿を見ていると、
自分の老後をこの場所で迎えるのはちょっと違うな、と感じています。
今、私はひとりで小さなアパート住まいだけど
すぐ近くには総合病院もあるし、
バス停もすぐ目の前にある。
すごく便利な環境で暮らしているけれど…
それでも車を手放したら、不便を感じるだろうなぁ。
両親のように、自然に囲まれた生活も素敵だけど、
年を重ねると“便利さ”イコール“安心”に変わっていくのかもしれません。
母を、私の住む街に呼んで一緒に暮らしたい気持ちを伝えたけれど、
「やだよ」って言われちゃいました。
たぶん、それも母の優しさなんでしょう。
いろんな思いが交錯するけれど、
母のペースで“車のない暮らし”に、少しずつ慣れていってくれたらいいなと思っています。
そしてまた、いつもの元気なお母さんに戻ってくれたらいいな^^
今日も電話をかけたら、
「今日はね〜、歩いて郵便局まで行ってきたんだよ!」って、ちょっと得意げな声。
ああ、そうそう。
それでいいんだよ、お母さん。
少しずつ、ね。
🩵あとがき
私たちの世代も、きっといつか“免許を返す日”が来ます。
それを悲しい節目ではなく、「次のステージの始まり」と思えるように、
心の準備をしていきたいですね。
母が
「車の運転を引退したら、こんなのに乗れたら便利よね〜」
って、以前言ってました。
結構なお値段💦
でも、来年、雪が溶けたらプレゼントしようかな〜?って考え中…です。