こんにちは!
1964年生まれの、たこちです。
大好きな役所広司さんが主演の「八犬伝」。
小学生の頃にNHKで放送されていた人形劇「新八犬伝」を夢中になった観ていた私は、八犬伝の物語が現代ではどのように映像化されるのかとっても興味があり、公開を心待ちにしていました。
早速、観に行ってきましたよー!
混雑を避けようと、公開したばかりの土日ではなく平日の日中に観に行ったのですが…期待を完全に裏切られるほど閑散としており、観客はざっとみても10数人程度でした。
「え〜?混み混みかと思ってたのに…」(゚∀゚)
多少拍子抜けはしたものの、ザワザワ大勢の中で観るよりずっといいわ^^と、
久しぶりの映画鑑賞にワクワク感が止まりません。
開始ブザーが鳴り、すぐに物語の中に吸い込まれていきました。
が…
150分、けっこう長い💦
「あっという間」には終わりません。
滝沢馬琴が「八犬伝」を創作する28年間の、葛飾北斎や家族との関わりの『実』の部分と
「八犬伝」で描かれる勧善懲悪をテーマにした『虚』の部分が
交互に錯綜しながら展開していく作品なので、観ている側も「実」と「虚」が入れ替わるたびに何度も脳のリセットが必要です。
おそらく、この作品のテーマは
たとえ「虚」であっても貫き通せば「実」となる
です。
では「虚」とは?
馬琴は、彼が世に伝えたい「勧善懲悪」は、現実の世界では所詮絵空事、「虚」であると言われてしまい、そんな虚しいものをテーマに生涯を掛け、家族を巻き込みながら創作を続けることに意味があるのか?と悩み苦しみます。
しかし
でもその「勧善懲悪」が人間にとって、世にとって一番正しいことなのだ!と、
八犬伝を通して伝え続けることを貫き通せば
「貫き通したことが『実』になる」
との助言を聞き、再び創作活動を始めるのでした。
だから馬琴は最後まで「八犬伝」を書き続けなければならない。
たとえ盲目になろうと、物語を完結させなければ…
貫き通すことができなければ
馬琴の生涯は「実」になれないのです。
うぇ〜!ファンタジー好きの私には、思いがけず重たい話…。
馬琴の頭の中にある「八犬伝」の物語を映像にした『虚』の部分は、とても美しく、CG感出まくりではあるものの、所詮『虚』と思って没入し観ることができます。
でも
映画「八犬伝」2024は、
滝沢馬琴が「南総里見八犬伝」を創作するにあたって、どんだけ命掛けだったか?ってことを中心に描かれています。
リアルとファンタジーが五分五分で、行ったり来たりでもう大変💦
映画から得る情報量が多くて、私の脳ではさばききれない程の揺れ幅です(笑)
私的には「実」:「虚」が8:2くらいの割合の作品だったら、もう少し落ち着いて鑑賞できた気がします。
とはいえ、名だたる俳優さんたちの演技は流石で、合間、合間に挟まれる「八犬伝」の強すぎるCG効果にも全く負けません!
役所広司さん、内野聖陽さんはもちろんのこと、寺島しのぶさんや黒木華さんの演技も光ります。
寺島しのぶさん演じるお百が最後に残す叫びが、最初は何に対しての叫びなのか解らなかったのですが、その後の展開を観て
「てめー!最後までやりきらなきゃタダじゃ済まないからなー!」
「やりきらなきゃ、あんただけじゃなく家族もろとも「実」になれないんだからね!」
と伝えたかったのではないか?と感じました。
寺島しのぶさん、マジ強え〜💦素晴らしい!
私は、私なりに毎日懸命に「実」を生きています。
だから、私が映画に求めるものは常に「虚」の世界で、そこから得る癒やしや現実からの逃避であり、できるだけ「実とは遠い世界」です。
でもこの作品では
滝沢馬琴にとっての「実」と「虚」の間の悩みや苦悩、
信念を持って生を全うすることで周りの多くの人々を巻き込み、
大切な人に、思いがけず不幸を感じさせてしまっていることに気づく辛さと悲しみ。
そんな、馬琴の心苦しい部分が『具体的な映像』で見せられ、突きつけらていました。
面倒や、辛いことはできるだけ遠ざけて生きていきたい私です。
八犬伝物語の壮大な世界観やファンタジーに逃避し、日常の嫌なことを忘れたくてこの映画を観に行った私ですが
「逃げずに戦え!」
「60年間、貫き通したことは何かあるのか?」
と言われたようで…(-_-;)
自分の、これまでの生き方をちょっと反省させられる作品となりました。